2019.6.12(水)放送、フジテレビ「世界の何だコレ!?ミステリー」で紹介された天目山 栖雲寺(山梨県甲州市)蔵・摩利支天掛軸に触発され、2019.6.16(日)、亡き母の誕生日ということもあり、日本三大摩利支天の1つと称される摩利支天 徳大寺(日蓮宗・妙宣山)に参詣させていただきました。
 

日本三大摩利支天

・高野山真言宗 宝泉寺(石川県金沢市)
・摩利支天 徳大寺(東京都台東区上野)
・臨済宗建仁寺塔頭 禅居庵(京都市東山区)

正確な創建年代は不明のようですが、伝承では江戸時代前期の承応2(1653)年、日遣上人によって開山、のちに京都本法寺の日達上人が中山法華経寺へ赴く際に聖徳太子作と伝えられる摩利支天像を得、宝永5(1708)年、徳大寺に安置され、江戸における流行仏のひとつとして庶民の信仰を集めるようになったそうです。

 

二木の菓子のお隣にある浄行菩薩像が目印。

数歩先に進むと、階段が見えます。

階段途中には狛犬がお出迎え。


 

まずは境内右側から、

「力の亥」像


日蓮大聖人説法像

七面大明神

七面天女とも呼ばれ、日蓮宗系において法華経を守護する女神とされる。
当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。

 

石橋稲荷

 

境内左側に回ると、緑美しい小さい井戸とベンチがあり、僅かながらくつろげます。

 

本 堂

本堂脇には6月ならではかアジサイが。

 

本堂正面に掲げられている扁額「威光殿」は、吉田茂元首相の揮毫によるもの。

本堂内は撮影禁止ですので撮影しませんでしたが、入ってすぐ左にも浄行菩薩像がご安置されています。

普段は御簾が掛かっており、縁日である「亥の日」以外にご開帳されませんが、正面には摩利支天像、摩利支天像右には鬼子母神像、摩利支天像左には十界大曼荼羅御本尊がご安置。

日蓮大聖人は『四条金吾釈迦仏供養事』で「大日天子居し給ふ。(略) 前には摩利支天女まします」と、摩利支天を天女として受けとり、日天信仰の内に組み入れられたようですが、徳大寺に奉置される摩利支天像は、頭髪を逆立て、左手を開いて前方にかかげ、右手に剣を持ち、走るイノシシの上に立つというもの。

摩利支天とは「陽炎」あるいは「威光」と訳される仏教を守護する天部の神で、常に日天の前にいて、日天に仕えるが、その姿は日天から見えず、また人からも見ることはできない。

ゆえに、人に捉えられたり欺誑されることもなく、害されたり、また怨まれる者に自分のことを知られることがない。

また、常に日天に先んじて進み、昼夜の別なく光を放ち、参詣祈願の人々に「気力、体力、財力」を与え「厄を除き、福を招き、運を開く」、諸天善神中、最も霊験顕著なる守護神であり、人が摩利支天の名を知り念ずれば、一切の災厄から逃れ勝利の功徳を得ると伝えられ、我が国においては中世以降、武士階級の守護神として摩利支天への信仰が広まり、楠木正成、足利尊氏、毛利元就、徳川家康などの武将らは、摩利支天の尊像や旗印と共に合戦に出陣、『忠臣蔵』で知られる大石内蔵助も髷の中に摩利支天の小像を入れて討ち入りに臨み、本懐成就を遂げたと伝えられています。

果ては大河ドラマでは、山本勘助が肌身離さず付けていたものとして、摩利支天のペンダントお守りが登場し、一躍有名になりました。

まさに諸難を退け勝利に導く、武門の護り厚き守護神。

上述の通り、町人文化が栄えた江戸時代中期以降には、民衆の間にも摩利支天信仰が盛んとなりました。

数分もあれば境内を一周できるほどの小さな寺院ですが、昨今では、「開運厄除・除災得幸」祈願はもとより、「家内安全・商売繁盛」祈願、政治・芸能・スポーツに関わる方々の「必勝・心願成就」祈願など、我が身をお守りくださる「上野広小路の摩利支天さま」として、広く全国から参詣され親しまれています。

なお、18:30閉門ですので、参詣される方はお早めにどうぞ。

皆々様の諸難退散、開運吉祥福寿無量、巨益霊験を施し給えとご祈念申し上げる次第です。