さすがに撮影するのは憚られるので、撮影しませんでしたが、新潟の本家へ母が他界したことの報告及びご挨拶に伺い、本家の方と一緒に、先祖代々のお墓、祖父母のお墓へお参りさせていただきました。ご先祖様あっての私。今の今までお参りできなかったことへのお詫びと、報恩感謝申し上げました。
風もないのにろうそくの炎が激しく揺れ、本家のお母様が言うには、「先祖が喜んでくれている証拠だ」とのことですが、喜んでいただけたのであれば幸いです。
また、今回の事がなければ一生会うこともなかったであろう親戚の方とも会え、ありがたいことに熱烈歓迎していただき、ただただ感謝です。
本家には私と同年代の息子がいるのですが、彼も私と同じく剣道有段者。「歩く時はすり足で歩く」「日常生活では無意識的に常に右足前の半身の体勢で身構える」という、剣道あるあるで盛り上がりました。
その後、本家のお母様が亡くなられたという報を聞きました。本家のお母様と会えたのは最初で最後だったというわけです。私と同年代の彼は元気にしているだろうか。
そして翌日、新潟滞在最終日は好天に恵まれ、再び寺泊へと出向きました。海は大好きです。何も遮るものがない。打ち寄せる波は荒々しくありながら、不思議と癒しも与えてくれます。
母は生前、外科産婦人科、救急の看護師をやっており、経験と知識から、自らの死期を悟っていたようで、一度帰郷して、親類や友人、知人へお別れの挨拶と、先祖代々のお墓、そして、自分の親のお墓へお参りするという計画を立て、それを目標に辛い放射線化学療法に耐えていましたが、残念ながら叶わぬ夢となってしまい、代わりに私が新潟へ行かせていただいたという次第です。少しは母の無念を晴らすことができただろうか。
しかし、これも何かのご縁なのか、私も約30年ぶりに新潟へ来られて感無量です。新潟の皆様、またお世話になるかもしれません。その際はよろしくお願いいたします。
亡き母の代わりに、新潟に仕事面で何か貢献できないかと考えております。新潟~東京の二拠点生活にも前向きに取り組む所存です。自治体や企業の皆様、もし私にお手伝いできることがございましたら、ご連絡いただければ幸いです。