2018.9.12・2019.3.31 池上本門寺

2018.9.12(水)、宗祖日蓮大聖人が幕府や諸宗を批判したとして、平頼綱によって捕えられ、江ノ島片瀬龍ノ口刑場に護送されるも、江ノ島方面から光が発せられ、討手の太刀が折れるなどの怪異現象が発生したため、処刑が中止となったという、龍ノ口法難(文永8年)の日を偲びまして、日蓮宗大本山・池上本門寺に参拝させていただきました。

そして半年後の2019.3.31(日)、お花見も兼ねて、昨年9月に行きそびれたお堂を中心に、再度、参拝させていただきました。

あまりに広大なため、全ては周りきれませんでしたが、参拝させてただいたルート順にご紹介したいと思います。

写真は特段の記載なき場合は、2018.9.12(水)に撮影したものです。

 

題目宝塔

総門前の呑川に架かる霊山橋の袂に鎮座。

右側面  一天四海 皆帰妙法
左側面  天下泰平 国土安穏

お題目宝塔は無視できませんね。

 

池上鬼子母神堂

昭和6(1931)年、池上本門寺総門前に厳定院別院として建立。

大切な友人や、当ホームページを訪問して下さった皆様の安産、お子様の健やかな成長を祈念。

 

此経難持坂

熱心な法華信者として有名な加藤清正公の築造寄進によるもの。

名称は、法華経見宝塔品第十一、此経難持の偈文96字にちなむ。

末法の世に法華経を受持することの至難を忍び、石段を上ることの苦しさと、信行することの尊さを対比させる意図があったと伝えられる。

 

日蓮大聖人説法像

「長崎平和祈念像」の作者・北村西望氏の作品。

見ているだけで気合が入ります。



(上2点、2018.9.12(水)撮影)


(2019.3.31(日)撮影)

 

長栄堂

池上本門寺の守護神「長栄大威徳天」を奉安。

宗祖日蓮大聖人が佐渡流罪中、長栄大威徳天が白髭の翁として現れ、法華経の行者守護を誓ったという逸話に由来。

皆々様の諸願成就・商売繁盛・開運所縁吉祥を祈念。


(2019.3.31(日)撮影)

 

霊宝殿

宗祖日蓮大聖人真筆の大曼荼羅御本尊や、池上宗仲、宗長兄弟に遣わされた御消息(お手紙)『兄弟抄』等々、池上本門寺に伝わる寺宝を保存し、展示公開する施設。

毎週日曜日に大人300円、子供200円で展示品が観覧できる。


(2018.9.12(水)撮影)


(2019.3.31(日)撮影)

狩野家は始祖正信以来、熱心な日蓮宗の信者であり、池上本門寺は菩提寺であることから、毎年春に所蔵する狩野派絵画を中心に、恒例「池上本門寺の狩野派展」を開催しています。

私が観覧させていただいた時は、「徳川吉宗/竹に虎図」、「狩野栄信/竹に虎扇面図」等々の絵画の他、弘安元年に書き顕された日蓮大聖人真筆大曼荼羅御本尊、日蓮大聖人が使用したというお念珠も拝することができました。

一生の間にお目にかかれることがあるのだろうかと思っていただけに、心の底から震えるような感動を覚えました。

ちなみに、日蓮真筆曼荼羅は、127幅余が現存するといわれています。

「池上本門寺の狩野派展」は、前期と後期で展示物が変わるようです。

詳しくは池上本門寺のホームページでご確認下さい。

 

経 蔵

江戸中期の本格的かつ大型の経蔵で、堂内の輪蔵には天海版一切経が架蔵されていた。


 

大 堂

祖師である日蓮大聖人御尊像を奉安していることから「祖師堂」ともいわれる。

大堂脇には浄行菩薩像。

 

本 殿

釈迦牟尼仏坐像、日蓮大聖人ご開眼の四大菩薩立像、祖師像を祀る。

釈迦仏の胎内には、インドのガンジー伝来で、故ネール首相より寄贈された釈尊の真舎利2粒が奉安されている。

 

御廟所

宗祖日蓮大聖人の御灰骨を奉安する。

 

多宝塔

日蓮大聖人御入滅の折の御荼毘所。

池上本門寺の開基檀越である池上宗仲公が宝塔を作り、日蓮大聖人の御余灰を中に盛って奉安したのが始まりと伝えられる。



 

長崇山本行寺(大坊)

鎌倉幕府の作事奉行であった池上宗仲公が日蓮大聖人ご入滅の後、公邸を寄進し、建立したお寺(通称「大坊」)。

 

御硯井戸(おすずりいど)

日蓮大聖人が身延山からご到着になられた翌日、この井戸の水で墨をすり、9年間庇護をしてくれた波木井実長公にあてた礼状などをしたためたといわれる。


(上2点、2019.3.31(日)撮影)

毘沙門堂

夜叉を従えた北方の守護神で、暗黒界の長、鬼門の守り神とされる毘沙門天(漢訳では多聞天)を祀るお堂。

(2019.3.31(日)撮影)

瘡守稲荷(かさもりいなり)

江戸時代中期より五穀豊穣を祈り、特に病気除けのお稲荷様として、目黒区碑文谷に祀られていたが、昭和57(1982)年に本行寺に出世移転。

(2019.3.31(日)撮影)

旅着堂(たびちゃくどう)

高弟の一人が日蓮大聖人の遺徳を偲んで彫刻したという、「旅姿の日蓮聖人像」が安置。

(2019.3.31(日)撮影)

御灰骨堂

毘沙門堂のすぐ傍には、日蓮大聖人ご入滅の後、ご遺体を荼毘にふした際の御灰(中にご真骨を蔵す)を収取、安置。

 

大坊本行寺は宗祖日蓮大聖人がご入滅された霊場。

「ご臨終の間」は、日蓮大聖人がお亡くなりになられた池上宗仲公邸の仏間であったお部屋の跡に建てられたお堂です。

ご入滅時に時ならぬ花を咲かせた桜は、今も「お会式桜」として敷地内に現存しており、旧暦10月(現在の11~12月)頃に花を咲かせるそうです。

池上家滞在中、すでに重い病にあった日蓮大聖人ですが、ご入滅になられるまでの約1ヶ月間、このお部屋で多くの弟子や信者に法華経や立正安国論を講義されました。

ご講義の際に日蓮大聖人が寄りかかっていたとされる柱の一部は、今でも「ご臨終の間」に置かれ、触れていただくことができます。

堂内の中央には、日蓮大聖人自ら鏡を見て自刻された「自鏡満願の祖師像」、「池上宗仲公御夫婦像」などが奉安されています。

裏手には庭園が広がり、都内とは思えぬ静寂さで、ゆったりとくつろげます。

なお、「ご臨終の間」は昭和11(1936)年3月、東京都の史跡に指定されました。




(上3点、2019.3.31(日)撮影)

 

五重塔

徳川秀忠公の病気平癒祈願のため、乳母岡部の局(のちの正心院)が発願し、建立した。

関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔。

 

力道山墓所

プロレスファンを自称しておきながら、実はこれまで一度も行ったことがなく、是非とも拝見したかったので、お目にかかれて感無量。

やはり私の他にも参拝されている方がいらっしゃいました。

像の下には錚々たるメンバーのお名前が。

 

日本看護婦会慰霊塔

全国各地に建てられた、殉職した従軍看護婦の慰霊塔のうちの1つと思われます。

私の母も生前は看護師をしていたので、母も見たかったのではないだろうか。

 

妙見堂(池上院家 照栄院)

池上三院家の1つで、妙見大菩薩を奉安するお堂。

加藤清正公の息女・瑶林院が夫君の現世安穏後生善処のために本門寺へ寄進した室町時代の御尊像です。


 

万両塚(永寿院)

紀州徳川家初代藩主頼宣の娘で、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室・芳心院のお墓や、弥生、古墳、江戸時代の住居跡が発掘されたりと、悠久の刻の流れを感じます。








万両塚に美しく咲いていたサルスベリの木。

 

宗祖日蓮大聖人ご法難の日に参拝できたこと、また、その半年後に再度参拝できたことはこの上ない悦びであります。

ご覧頂いた皆々様にも、御利益・法味倍増、御威光倍増・御利益広大となりますことをお祈り申し上げます。